生い立ち

子供のころから、インドアで遊ぶのが好きなタイプの人間で、本を読むのが好きでした。

小学校低学年までは、内気で友達もできにくかったです。

中学年以降は、多少はしゃべれるようになり、グループ内では笑いをとったりする程度にはコミュ力もついてました。

高校までは一応不登校にはならず通いました。しかしながら中学生くらいのころから学校嫌いを自覚するようになります。

激しいいじめにあった、とかではないのですが、(まあでもいわゆるスクールカースト下位、ってかんじですね)学校がつまらなく、勉強も部活も楽しくなく、なぜ学校に行っているのかわからない、でも学校から飛び出してやりたいこともなければ勇気もないので、そのまま通って卒業しました。

高校を出て、何となく大学浪人です。その時は大学で学びたいこともないのだけれども、就職も、社会というものが恐ろしすぎて、リアリティを持って考えられなかったのです。

二浪して全滅。で、そこに及んでも就職は恐ろしい。すぐに入れそうな専門学校に逃げ込みました。一応本は好きだったので、ライターや編集者を養成する学校です。

専門の二年目の頭には就活を始めるのですが、全く身が入りませんでした。社会や就職というものから逃げたかったのです。

そこで、改めて大学受験が頭に浮かびました。半分は逃げなのですが、しかしもう半分は、哲学をやってみたいと思い出していました。

専門学校で書いた文章が、講師の先生から、「哲学的だ」とほめられた経験があったり。高校の時に受けた倫理の授業で聞いたヒュームのエピソードが頭の中でよみがえったり。

ヒュームは、因果性を疑った哲学者です。例えば、今日も太陽は登って沈む。明日も同じだと我々は信じているわけだが、それは、昨日までずっと餌をくれていた人間に何の疑いも持っていなかった鶏が、ある日急に首をひねらるのと一緒だ、みたいなことを言った。昨日までの世界の法則性に見えたものが、本当に一般的な法則とは限らないではないか、というわけです。

高校生の自分は、こんなに頭のいかれたやつが、歴史上の偉人として教科書に載る哲学という世界は素晴らしいと思ったわけです。なおかつ、なんでも疑ってもいいんだ、「学校には行かなければならない」とか「仕事をしなければならない」といった社会的な通念だって疑っていいんだ、と勇気をもらい感動しました。

で、専門の二年目でそれを思い出し、俺のやりたかったことは哲学ではないのかと思い、一念発起して大学受験することに決めました。

専門学校の二年目はだから、学校には行かなくなり、大学受験勉強をしました。

そしていわゆる中堅私大にどうにか引っかかりました。

哲学はやはり面白かった。自分のやりたかったことはこれだ、と。

しかしそれでも、大学院に行って研究者になる、というのも自信がありませんし、もうこれ以上親にお金をせびるわけにもいきませんでした。

大学を出るのにも、卒論を書くのに苦労して二年も留年。親に無駄に金を出させて、迷惑をかけっぱなしです。

そしてもう20台も後半になっており、そもそも社会や就職を恐れている気持ちはまったくかわりません。なので、そのまま大学を出てひきこもり状態になりました。

まだ大学に通っている段階から、大学に籍を置いている以上定義上「ひきこもり」ではないわけですが、やはりこんなに人とコミュニケーションが取れず、社会や他人を恐怖している自分はどこかおかしいのではないかと思い、ひきこもり問題専門家の斎藤環さんの本を読んだりしてはいました。

斎藤さんの本で、「デイケア」のある精神科がすすめられているのを読みました。大学の学生相談センターにも、精神科医のチラシがあったり、紹介してくれたりしたので、20代後半から30代半ばまでは、デイケアのある精神科に通いました。

その時は、人生をどう生きていったらいいのか、途方に暮れていました。

35くらいの時に、バイトから始めてみよう、とどうにか思えるようになります。きっかけは自分でもよくわからない。病院のデイケアで友人ができたりしていたのが、少しずつ気持ちを変えてくれていたのかもしれません。

最初は年末年始の郵便局の年賀状バイトでした。短期で入れたので、学生さんに交じって働きました。

短期でも、途中でやめることなく働けたことがうれしく、もらった給料でPCを買ったりしました。

その後しばらくして、派遣バイトという形で運送会社に入り、主に仕分けの仕事です。そこで数年働いた後、派遣から直接雇用のバイトとなり、契約社員、正社員、というルートをたどりました。

そして今もその会社で働いています。

仕事は正直しんどいのですが何とかやっています。

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