橋爪大三郎『政治の哲学』を読む

皆さん、選挙で投票に行かれてます?

いや、「投票に行こう!」的な説教臭いことを言いたいわけではないです。私も行ったり行かなかったり、の適当な感じです。

で、投票に行った時にいつもちょっともやもやしてるんですよ。

「本当にその人で良かったのか?」「俺は本当にちゃんと考えて選んだのか?」とか考えちゃって。そんで自分には政治的な知識がないことは自分でもよくわかってるから、「なんとなく」で選んじゃってることも自覚していて、もやったり自己嫌悪に陥ったりしてるんです。

「次の選挙には、ちゃんと勉強して確信をもって投票するぞ!」とか言ってても結局やらない(笑)。

「今でしょ!」の精神でどっかで始めないともう一生始めないな…、とか思いまして。ここのところは政治に関する入門書的な読みやすいやつに手を出してます。

で、『政治の哲学』(橋爪大三郎著 ちくま新書)を読みました。

そもそも「政治はなぜ大事なのか?」っていう根本から説き起こしていています。

普通に暮らしていて、政治の大事さというのは実感しにくい。まあみんな自分の人生を生きるのに必死なわけです。日々の細々とした問題とか、仕事とか人間関係が大事、ってのは身にしみてわかってるけれども。

政治は、幸福を追求している個々人の生活に対してメタレベルにあるというか、「インフラ」としてある。例えば税金の額が上がったら。健康保険がもし存在しなかったら。いくら私たちが個人的な努力で頑張ったとしても、生活はかなり困難なものになるだろう。あるいは既に現在困難な生活を送っている人もいるでしょう。そしてそれの原因は、その人の努力不足ではなく、政治の失敗かもしれない。

というわけで、そして日本は曲がりなりにも「民主主義国」なのだから、我々いわゆる「フツーの人」パンピーである我々こそが、責任をもって政治について考えねばならん、というわけです。

その際に、ちゃんとした自分の政治に対する考え、つまり「哲学」がなければ、日本の政治はうまく回っていかない、と橋爪さんは言います。

そしてこの本の特徴は、「市場」を中心にして政治を見ていくことだ、とのこと。

市場とは何か?「さまざまな商品を、貨幣を払えば買える仕組み」(p25)。そしてさらに、伝統社会では「市場」では買えなかったもの、土地、労働力、資本、も市場で買えるようになったのが、(伝統社会のそれを「商品経済」と言うのに対して)「市場経済」と言う。

市場の特徴は、そこでの取引はすべて合意の下で行われる、ということにある。Aさんは、失業して家のローンが払えなくなり、泣く泣く、希望の額よりもだいぶ低く売ったとする。これは「合意」ではないのではないか?いや、この場合も合意である。なぜならば、Aさんだって売れないよりはましだ、という判断でオッケーしたわけだし、そもそも無理やり強制的に誰かに奪われる、といった事態とは違うわけだ。

で、この「市場」に対する態度によって、政治的立場が分かれてくる、という。

例えば、そもそもの大前提からして「市場」に反対するのがマルクス主義。市場における取引はすべて合意だとかいうけど、労働者と資本家の間の取引は、実質的には「合意」じゃない!なぜならば、労働者は資本家に対して、資本を持たない分、労働力しか売るものを持たない分、資本家に足元を見られ、安い給料を提示されても断れない。つまり搾取されている!と批判した。

それで、マルクス主義者はどうするかというと、「市場主義経済」をやめて、「計画経済」でいこう、と。「計画経済」とは、「誰がなにをどれくらい生産し、いくらで売買するのか、政府がすべて決める経済」(p29)のこと。そして実際に例えばかつてのソ連は計画経済を採用した。しかしそれはうまくいかなかった。ソ連は崩壊したし、中国も経済は実質的に「市場経済」になっている。

で、橋爪さんはここから、「市場」を中心として、それに対する態度で政治的な立場が分かれてくる、という。

市場において、個々の主体が自由に経済活動を行った結果、個人において貧富の格差が広がったり、企業の活動が利益優先で環境を無視し、環境破壊を生んだりする。つまり「市場の失敗」ということが存在する。

市場をどの程度信頼するのか、市場に政府はどの程度介入するべきか、で立場が分かれる。「市場原理主義者」は、市場を信頼している。そして人為的な介入などはかえって問題をこじらせるだけだ、と考える。

それに対して市場が生み出す問題を無視できない、と考える人々もいる。「市場の失敗」にもいろいろある。そこで、政府は何を重視しどういう対策をとるべきか。ここで立場が分かれる。そして、「この立場の違いは、経済学からも、政治学からも導かれません。そのひとの生き方、考え方による。政治をめぐる、価値観や哲学による」(p40)という。

そしてここからは具体的に個別問題に取り組む必要がある、ということで、この本でも「教育」とか「年金」といったイシューについて論じられている。

ここら辺からは、もう個別のイシューについて自分でさらに別の本を読んだりして掘っていく必要が出てくるみたい。

細かい論点や、自分自身がなにを大事だと思っているのか、といった自分の価値観を明らかにするためには、個別の論点を掘る必要があるとはいえ、大雑把なイデオロギーの見取り図も橋爪さんが示してくれている。

まず、市場を否定するのか、認めるのか。否定するのがマルクス主義。否定しないのであれば、(広い意味での)自由主義。

で、次に市場を認めたうえで、政治は市場に介入すべきなのか、すべきでないのか。介入すべきでない、とするのが、(狭い意味での)自由主義。介入すべきだと考えるのが、(広い意味での)社会主義、となるそうです。

そんでさらに分岐する。その自由主義が、リバタリアニズム、市場原理主義、保守主義、と分かれる。それぞれどう違うのかは、橋爪さんは書いてくれているけど、省略します(笑)。(広い意味での)社会主義も、政府がどんな介入を行うべきか、でさらに分かれるという。ケインズ主義、社会民主主義、社会主義、のように。

んー…、自分は何を求めているのか?自分は社会にどうあってほしいのか?ってなことが自分の価値観、ってことですよね…。んー…、まだまだ分かりませんな…、まあ、自分は「資本家」でも「金持ち」でもないから、お金持ちからは取れるだけ取ってもらって(笑)、再配分してもらう、ってのが自分にとっては良いのかな?

これからも荻上チキの『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか』とか橋本努の『経済倫理=あなたは、なに主義?』とかも読んでみます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました