今回取り上げるのは「接続」というテクニックです。
日常的に起こるこんな場面に思いあたる節はないでしょうか?誰かと食事をしていて、仕事のことばかり考えてしまい相手の話は耳に入っていたのだけれども、「聞いて」いなかったこと。車通勤時、仕事や将来に対する不安で気持ちがいっぱいで、気づいたら意識せず車は会社に到着していた。
このような場面で、「今、ここ」へと意識を引き戻すテクニックが「接続」です。つまり何とつながるか、というと、「今、ここ」に「接続」するのです。
さて、しかし改めて考えてみるに、これらの場面で起こっていることはなんでしょうか。
前者の例では、相手の声は「聞こえ」てはいます。つまり耳に声は届いていて知覚しているのだけれども、「意識」はしていなかった、ということですよね。後者においては、車の運転は慣れていて、いわば身体が勝手に無意識的に、習慣的に動いているのだけれども、「意識」は不安や心配事に向けられていた、ということですね。
そこでこの本で導入されている区別について紹介したいと思います。それは、「思考する自己」と「観察する自己」です。
「「思考する自己」は計画、判断、比較、創造、想像、視覚化、分析、記憶、空想、夢想などを担当する。一般的な言葉で言えば「マインド(認知能力)」だ」(p.80)。それに対し、「観察する自己は思考する自己とは根本的に違うものだ。観察する自己は、何かに気づきはするが考えはしない。観察する自己は集中、注目、気づきなどを司る。それは思考に注意を向け、観察することはできるが、思考を生み出すことはできない。思考する自己が私たちの経験についてあれこれ考えるのに対して、観察する自己はあなたの経験したことを記録するだけだ。
たとえばテニスをしているとしよう。あなたは完全に集中している。あなたの注意はこちらに飛んでくるボールに釘付けになっている。この時働いているのは観察する自己だ。あなたはボールについて考えてはいない。観察しているだけだ。
さて、ここであなたの頭に思考が浮かんだとしよう。「ラケットの握りはこれでよかったかな?」「ここでいいショットを打たなくちゃ」、あるいは「おっと、これは速いボールだな」。これは思考する自己の働きだ。そしてこれらはしばしば集中を阻害する。観察する自己がこれらの思考に過剰な注意を向けると、ボールへの集中はおろそかになり、あなたの能力は下がるだろう。(仕事に集中しようとして、「失敗しないといいんだけど」という思考に邪魔されたこと何度もあるのではないだろうか?)」(p.80-81)。
ハリスはわかりやすい別の比喩も出してくれています。それはラジオです。「思考する自己はラジオみたいなものだ。常にバックグラウンドミュージックを奏でている。やっている番組のほとんどは「憂破滅と憂鬱ショー」みたいなものだ。二十四時間ひっきりなしにネガティブな物語を流している」(p.83)。
いわば純粋な「気づき」そのものとしての「観察する自己」、つまり自己意識する心の作用そのものは、しばしば思考に「釣りあげられてしまう」。ラジオを流しながら何か作業をしたことは皆さんもあると思います。作業に集中しているときは、ラジオはなり続けていても、聞き流せるものです。しかし、流れ続けているものですから、集中が途切れた瞬間には、ラジオ放送は私たちの意識を捕まえるのです。
そこで、そっと釣り針を外し、意識をまた「今ここ」へと向けるテクニックが「接続」です。
とりあえずすぐにできる、とてもシンプルなエクササイズが用意されています。それぞれ30秒ずつ意識を集中してみましょう。
・環境につながる
・体への気づき
・呼吸への気づき
・音に関する気づき
の四つです。「環境」というのは、見るもの、聞こえるものなど、五感すべてで外界に感じられるものすべてのことです。体の感覚。膝や腕の位置、背骨の位置や体感で感じられる体の感覚に集中してみましょう。
呼吸の気づきはマインドフルネスではおなじみのものですね。「拡張」でやったこととも近いものです。鼻を通る空気や、膨らんだりへこんだりするおなかや胸を意識しましょう。音も、意外と普段意識していませんが、様々な音が聞こえるものです。遠くを車が走る音や、自分が動くだけでも音はなっています。
このエクササイズをやってみると、普段無視している様々な感覚にに気づけます。そして以下に意識が思考に「釣りあげられて」しまうかも。
そこでこの簡単なエクササイズを、毎日数回やってみよう、とハリスは勧めています。
1.少しの間活動を休止する。
2.自分の周りにあるものを五つ選んで注目する。
3.注意深く耳をそばだてて、聞こえる音五つに注意を向ける。
4.体の表面に感じられる感覚五つに注意を向ける。
(p.158)
このテクニックは様々な応用ができます。日常で行う行為を一つ何か選んで(例えば歯磨きとかシャワーとか)その作業を行う時だけは、その作業に集中する、とか、散歩をする時に景色や皮膚に感じる空気を意識する、といったエクササイズが日常でもやりやすいと思います。
これらのエクササイズをやっていると、何回も意識は思考に「釣りあげられ」、「フック」されてしまうと思います。しかしそれも当然なのです。私たちの心は常に何かを心配するように進化してきたからです。だからしばしば意識が釣りあげられることに対して、落ち込んだり責めたりする必要もありません。ただ、都度都度気づければいいのです。そしてエクササイズを重ねれば重ねるほど、すぐに気づけるようになってきます。それでも、「釣りあげられる」ことはゼロにはなりません。仕事中などに、意識が仕事から離れたら、まずそのことを自覚し、また意識を目の前の仕事に戻しましょう。
ハリスは、思考は「タイムマシン」だ、と言っています。つまり思考する自己が生み出すのは、常に、「未来に対する心配」か「悔やんでいる過去の失敗」かのどちらかだからです。「今、ここ」からいつも我々を連れ出し、未来や過去に連れて行ってしまうのです。
「今、ここ」を生きることがなぜ大事なのか?それは、人生に「半分しか参加しないのはあまりにももったいない」(p.152)からです。「それはサングラスをして好きな映画を見たり、耳栓をして音楽を聴くようなもの」(p.152)だと。
そしてトルストイのこんな言葉を引用しています。「一番大切な瞬間は一つしかない。それは今だ。私たちが力を振るえるのは今この瞬間だけだからだ」(p.152)。ACTは実際の行動で現実や人生を変えていくことを重視するのですが、行動を起こせるのは、まさに今のこの瞬間以外にはないのです。
というわけで、「今、ここ」に意識を集中する訓練は、確実に人生を変えていく、そうです。
「そうです」、なんてちょっと弱気に書いたのは、まあ私も偉そうなことは言えないからです(笑)。人もうらやむような「社会的成功」を収めたわけではないですしね。ハリス本のエクササイズも、まだ勉強中の段階です。しかしながらそれでも、以前のブログに書いたように、最近少しは変わってきている、という実感があります。
ハリスは繰り返し、「この本に書いてあることを鵜吞みにするな」と注意しています。あくまであなたが自分の意志で決定して、自分の経験に照らして、この方法論を評価してほしい、と書いています。そしてただ本を読むだけでなく、実際にエクササイズをやってみて感じた体感をこそ大事にしてほしい、と。
ですので、私もこのブログで、「これであなたの人生は変わる!」なんて言う誇大広告的なことは書きません。しかし、ここで紹介しているエクササイズは、ただ呼吸の数を数えて意識を集中させるものだったり、身の回りの物や音に意識を集中しましょうというような、今すぐにでも手軽にできるものですから、ちょっと試してみても損はさほどないんじゃないかな?とは思っています。興味を持たれたら、ちょっとやってみてください。
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