『あちこちオードリー』の、ゲストがAdoの回を観た。承認欲求について考える。
勉強もスポーツも特別できるわけではない10代の学生時代のAdoは、「このままではニートになる」と不安に思っていたそうだ。
で、ニコ動の動画投稿を始めて手ごたえを感じ始めた時、これを突き詰めてやってみよう、と覚悟を決めたという。
それに若林も共感して、こんなエピソードを話していた。
同じく勉強もスポーツも特別にできるわけではない若林。昼間学校をさぼってゲーセンに行く。
すると、会社をさぼっているサラリーマンを見かけ、「俺もああなるな…」と不安に思ったという。
そしてそうならないためにお笑い芸人を目指した、と。
若林はこうも言っている。「陰キャ」に特有の「圧縮された承認欲求」がある、と。
私も場合もまさにそれで、高校時代あたりからずっと、悶々と日々を過ごしていた。
勉強もスポーツもできない。しかし、いや、だからこそなのか、無駄にプライドは高い。「今ここ」を生きている自分は、「この世を忍ぶ仮の姿」だと思っていた。「人生まだ本番じゃない」と思っていた。
そして脳内で、ミュージシャンやお笑い芸人になっている自分を妄想し、それにアイデンティファイしていた。
そうすることによって、どうにか日々細ーく息をして死んだ目で生きていた。
「今いる自分は本物ではない」と。俺は「いつか何者かになるんだ…」と。音楽もお笑いも、何らかの努力も積極的な行動も、何もしていなかったけれど。
さて、そして今。ゲーセンでさぼりこそしないが、普通の(いや、「変な」「気持ち悪い」か?)「運送会社社員」にはなった。
これはあの時妄想した「何者か」ではない。しかしとりあえずのなにがしかの結果、だろう。私はこういう人間になった。
国立競技場でライブを行うミュージシャンにも、東京ドームをいっぱいにする漫才をする芸人にもなれなかった。(十代の自分からすると)何かショボい、うすぼんやりとした大人になってしまった。
いや、もちろん「運送会社社員」は立派な職業だ。卑屈にならなくてもいい。元ひきの私は、「普通である」ことの大変さだって知っているつもりだ。
しかしながらいまだにやはり、この手の話題にはなにか、胸がかすかにチクリとする。
一方でしかし、その手の「承認欲求」の問題に昔ほど悩まされなくなったのはなぜだろう?
単純にもう年齢も年齢だから、そういったミーハーな願望は諦めて抱かなくなったことがあるだろう。
しかしそれとは別に少しポジティブな契機もあるのかも、と思う。つまり、「小さな承認欲求」は少し満たされている。
会社での仕分けの仕事などにおいて、周りの人が「仕分けエース」と呼んでくれたり、そういう扱いをしてくれたりする。
いや、こっちもさほど真に受けて大喜びもしないし、ちょっと小ばかにするニュアンスも含まれているのかもしれない。
それにまあ、そういう言葉で踊らされてガンガン働いてしまうのは、「やりがいの搾取」というもんで、ちょっと問題含みかもな…、とかも思う。
しかし後になってふと考えてしまった。かつて学校の部活とかで、「エース」的なポジションについたことは一回もなかったな…、と。
スクールカースト的なものの中でもがいて苦しんでいたころに頭の中で抱いていた、「なりたかった自分」にちょっとは近づけているのかもな、とは思った。
そしてあの苦しみから解放されるには、「国立競技場でライブをするミュージシャン」や「東京ドームをいっぱいにする漫才師」にまでなる必要はなかったのかもしれない。
いや、もちろんそれらはそれらで素晴らしいことだ。私にもそんな才能があればそういう存在になりたかったが。
あともう一つ。今の会社で働き始めて、お付き合いをしてくれた女性がいた。その人とは結局お別れすることにはなったが、いまだに感謝の気持ちがある。
というのも、彼女は本当にくずのようなこの私を「好き」だと言ってくれた。丸ごと肯定してくれた。
そんな彼女の目線を通して、私も自分で自分のことを、少しは肯定できるようになっていた。こんなくそみたいな人間にもちょっとは良いところがあるのでは、と思えるようになり、そちらにも目を向けることができるようになった。
それは彼女がいなければできないことだったと思う。自分で家で一人、ノートに向かって自分のいい部分を書きだそうとしてみたり、鏡で自分を客観的に見てみようとしたりしても、まったくいい部分が見えなかった。
彼女は、彼女が好きだと思っている私の良いところをいくつも挙げてくれた。
心理学の本などで、「自己肯定感」が大事、とよく言われる。
それはまあ、その通りなのであろうが、しかしまさにそれが難しいことで、しかも自分一人でどうにかできることではない。自分の心の中の問題なんだけど、自分一人ではどうにもならない。
今現在ひきこもっていたり、ニートの状態である方に対して説教臭くなるのは嫌だから、言い方が難しいのだけれど、自分自身の、あくまでも私個人の実体験としては、社会や他人とかかわることが、プラスになった、とは思った。
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